記憶が薄れてきている。
自分の足跡ってほんのちょっとの不注意と自己否定でいとも簡単に消せてしまうんです。
人生は嵐の海にもてあそばれる小舟のようなもんですから、生死にかかわる事態のときには自己肯定感なんてなんの迷いもなくぽいっと捨てれちゃうんですよ。少しでも身軽にならなくちゃって。
今までいろいろやってきたような気もするんだけどなあーんにもやっていなかった、ただの気のせいだったって気もする。
TV-CMの企画(と少しの演出)を10年以上やってきたのにコンテもビデオもなーんも残っていません。
なにも残さないで消えていくのはこわいんです。
ブラウザのブックマークのなかに大昔に使っていたブックマークが残っています。
もちろんぜーんぶ今はnotfoundだったり「●●サービスは終了いたしました」だったりします。
そこでINTERNET ARCHIVE。
過去に作ったCMとWEBの営業用ホームページがあったので、そこから古のコンテ画を引っこ抜こうという算段だったのですが画像はキャッシュされていなかったようです。残念。
テキストは残っていたのでそれを貼り付けるとともに某所で探しまくって見つけたいくつかの当時の成果物の切り抜きを置いておこうと思います。
以下、古の営業用ホームページの残骸より引用して加筆いたしました。
陽の目を見た企画たち
- 富士通FMTOWNSII(観月さん~黒田さん)
- カネボウフーズ「シュワッシュガム」
- 大気社企業CM
- 住友VISA 親子シリーズ
- 住友VISAギフトカード(親子シリーズ)
- 岩塚製菓「くるりん坊」
- 第一パン企業CM
- 第一パン春のキャンペーン
- サッポロDRAFTY(江口さん~フミヤさん)
- サクライ「ニューエスカルゴ」
- マンナンライフ「蒟蒻畑」
- ネピア トイレットロール
- 白馬観光
- 広島ガス
- 宮崎三菱ミラージュ
- スパリゾートハワイアンズ
- メナード「ジュピエル」春キャン
- 郵政省 年賀状
- NIKON「プロネアS」
- 三菱「ローザ」
- FAUCHON
初めて陽の目を見た企画は富士通のFMTOWNSIIでした。駅に自分が作ったキャッチコピー入りの巨大なポスターが張られていたと聞いて泣きそうになりました。でもその後PC専門誌の編集後記で「最近やってるCMだけど、あのコピーは逆だ。感動が知識になるのではなく、知識が感動になるのだ」と書かれていました。
観月さんシリーズは「stand by me篇」、「冒険者達篇」、黒田勇気くんになって「大人は判ってくれない篇」など映画になぞらえたものが多かったです。
DRAFTYとFAUCHONは長い間やらせてもらえ、勉強させてもらいました。
FAUCHONではパリにまで同行させてもらえて、ありがたかったです。でもパリのすてきなスタッフの皆さんはどうせちんちくりんの不細工な日本人が来たと思って見ているんだろうなどと極度の被害妄想に襲われ萎縮しながらコンテ描いてました。
白馬観光はディレクターまでやらせてもらえ、今となってはいい思い出です。出演者はほぼ全員同僚のみなさんでした。
広島ガスは企画が先輩で演出だけさせてもらいました。アニメーションでした。ナレーション撮りで「”ナチュラルガス・コンバージョン、広島ガス”を1秒でオネガイシマス」などと言ってナレーターの方に大笑いされてしまいました。
宮崎三菱のミラージュは企画は後輩で、演出だけやらせてもらいました。宮崎までロケに行かせてもらいました。宮崎三菱のショールームの皆さんとそのご家族計10名を汚した包帯でぐるぐる巻きにして撮影しました。もちろんダジャレネタです。
ハワイアンズは、常磐ハワイアンセンターからリニューアルして「スパリゾートハワイアンズ」に生まれ変わりました、というときのCMです。
そういうオーダーではなかったのですが、子供のころに福島の親戚一同に夏休みに連れて行ってもらっていた思い出が尊過ぎてどうしても「常磐」感を残したかったのです。
ロミオとジュリエットのパロディでヒロインの名がジョバンニ、カメラはヒロインの目線。バルコニーの下から執拗に名前を連呼するロミオ風欧米男性に水をあびせかけ、「常磐にいこう、常盤に」とナレーションが入る企画だったのですが、「ジョバンニ」という名前は男性名だと完成後に教えてもらい、ひやっとしました。(LGBTQ先取り、と言えなくもない。わけないか。)
VISAもけっこう長くお世話になりました。小林さんはとってもいい人で、楽屋にモニタをお持ちした私の肩をもんでくださってびっくりしました。

動画切り抜き
ネット上で見つけた動画からの切り抜きです。
画面が激しく揺れるものがありますので画面酔いに注意です。
富士通 FMTOWNSⅡ・
シュワッシュ
このころ社長から個人的に「お前が何の役に立っているのかわからない。どういう風に会社の役に立っているのかレポートを書いて提出しろ。」などとモラハラ・パワハラを受けていました。
なんで私の仕事ぶりを見ている上司や先輩に聞かずに直接、新社会人の私に聞いたのでしょう。
またその時「お前は腐ったみかんだから、お前がいると他の人間まで腐る」とも言っていました。
今なら冷静に社長の人間性の方に問題があることがわかりますが、当時は大いに頑張ってそこそこ成長していると感じていたのでいきなり豚の血が入ったバケツを頭から浴びせかけられたようなショックでなにも言えず、ひたすらへりくだった謙虚なレポートを書いてご提出しました。
5年ほど経てほかの会社へ転職しました。
関係ないけど、ちょうど地下鉄サリン事件のとき1本早い電車で出社していたら巻き込まれていました。危ういところでした。
DRAFTY・Nikon・FAUCHON
次の会社では上司にも同僚にも社外のいろいろな方たちにも恵まれ、自由にのびのびと仕事に熱中できました。
褒められたり期待されたりというご褒美をふんだんにもらえて有頂天になっていました。
5年ほど楽しくお仕事していたのですが人生が嵐に巻き込まれ、自分の身も危うくなり会社に迷惑をかけてしまいそうだったため退職しました。
でもその後もちょくちょくお電話とFAXでお仕事をもらったりして助けていただきました。ほんとうに助かりました。
あの助けがなかったらもしかしたら自殺するか殺されるか殺人で刑務所に入っていたかもしれないなと思います。
